こんな本置いてます vol.188

倫理の先生が実際に講義をした『倫理』。倫理とは「人間としての普遍的な在り方生き方」だそうです。古代ギリシャ哲学、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、古代インドと仏教、古代中国の思想。やはり、宗教は避けて通れないですね。自分がどう生きるべきかを学ぶ事が目的の一つですが、これだけ知れば、今の世界情勢の基盤が分かるかもしれません。文章も教えるプロが書いているので分かりやすいです。『いいじゃないいいんだよ』若い人たちに向けたメッセージです。いじめや自殺や暴力、SEXなどで思春期に立ち止まってしまった若い人たちに、何人も迷える若者と語り合ってきた3人の大人が、重いテーマを若者と同じ目線に立って率直に語り合っていきます。会話形式で書かれているのでこちらもさらに読みやすいです。

伊達政宗の素顔

16歳の芦田愛菜さんが言っていました。「歴史って、昔に何があったかは分からない。かもしれないとは言えるけど、本当になにがあったかは分からない。だから、事実として残っている事だけが事実で、無理に結論を出さなくてもいい」と。私は基本、大河ドラマなどの歴史ドラマは史実を題材にしたフィクションとして見ています。特に主人公が英雄視されすぎてしまって、大量に殺戮した出来事でさえも、時には主人公は仕方なく行っていて正当化される事が多いです。でも、芦田愛菜さんが言うように本当は何があったのかは分かりません。仮に私がこの先、日本を動かすほどの有名人になったとしても、私の過去を語れる人なんていません。私自身も、日記をつけていないので思い出せない事も数多くあります。だから、歴史的な出来事はあったかもしれませんが、誰がどんな思いでそんな事をしたのか、その時に巻き込まれた人たちはどんな心情だったのか、想像で創造されたものでしかないと思います。たとえ当時に書かれた資料だって主君の命令で、良いように書かれているかもしれません。だから、芦田愛菜さんが言うように、この説が正しいんだと主張し合うよりは、こんな出来事だったかもしれないと想い描いて、ロマンを追いかけていた方が幸せな気分になれるような気がします。それでも、正しい答えを出したいというのが人の性。そんな時、史実を読み解くのに、より真実に近づける資料の一つが本人が残した書状ではないでしょうか。前置きが長くなりましたが、この本は伊達政宗が残した数ある手紙から歴史的な出来事と本人の心情を読み解いた本です。伊達政宗は手紙をよく書いていたようで、発見されているだけで3000通を超えているそうです。残っている手紙だけでも月に4、5通も書いている事になります。さらに、当時の戦国武将は手紙は祐筆という代筆する人が書いていた事が多いらしいのですが、伊達政宗は、わざわざ自筆で書いたと思われるものが1000通を超えているそうです。区別として当時の手紙は代筆された手紙は代筆者の名前も最後に書かれています。当時と書きましたが、今も上司の通知文を部下が書いて名前とハンコだけ上司の名前を書いて、最後に作成した部下(自分)の名前が書かれている文書が多くありますが、戦国時代からの伝統だということが分かって面白いです。もちろん、ここの本で紹介されているのはごくごく一部ですが、それでも、今まで勝手に自分の中で描いていた独眼竜政宗という勇ましい人物像とは、別の人格が浮かびあがってきます。はっきり言ってこの人普通の人です。と、私は感じました。もちろん、今私が住んでいる岩出山や、その後移った仙台に色濃く残る伊達政宗の面影を見ると、とても才覚があった事は間違いないのは分かっていますが、手紙を見るに、堂々とした独眼竜政宗の姿よりも、どうしても周囲に色々気を遣う繊細な人のように感じてしまいます。そういった繊細さが、ずば抜けて人を掌握できたのかもしれません。メールも発達して年賀状すら少なくなった今の時代だからこそ、直筆の手紙っていうだけで感動したりもします。でも、当時も同じように主君が直筆で書いたらきっと感動すると思います。そんな事を伊達政宗はよく分かっていたと思います。人に正しく伝える手段、人に感動を与える手段、特に直筆で書く事による効果をよく認識していたのだと思います。この本を見てみると手紙を使って細かい指示や気遣い、時には自分の行動を弁解するかのようなフォローをしている事が分かります。代筆ではなく直筆の手紙をもらったら家臣ならドキッとしたり、他領の武将にとっては、丁寧な人物として信頼したかもしれません。さて、どの辺りの内容が普通の人と思わせるのかと言えば、例えば、天下統一目前の豊臣秀吉の命令で全国の武将が小田原に攻め入っている時に、伊達政宗は色んな思惑から決断が遅れて、小田原には遅れて参戦しました。その事を快く思わなかった、豊臣秀吉から呼び出されて成敗される事も覚悟していましたが、釈明したらとりあえず助かったという出来事がありました。その事をすぐに故郷で待っている家臣たちに「助かったよ。それどころかご馳走までしてくれたよ。大丈夫だってみんなに伝えてくれ」かなり、意訳していますが、緊張が解けて、それどころか大事にもてなされた興奮が伝わるような手紙が残っています。また、徳川幕府になって平和になってから鷹狩に興じて、主君である自らが幹事になって鷹狩の案内文まで家臣に出しています。その内容も、鷹狩の心得として鷹狩の前は飲みすぎるなよとか、参加しないやつは罰金とか、近くにいる百姓に迷惑をかけるなよなど、ほほえましい内容です。士農工商という階級制度はあったものの、農民にも配慮している姿がこの手紙では見られます。この本を通して英雄視される伊達政宗よりも親近感がわいてきました。是非、他の手紙も読んでみたいし、他の武将の手紙も読んでみたいと思いました。

プレミアム

豆乳プリンのプレミアムは最初の工程からすべて手づくり。ミヤギシロメから豆乳を抽出して作っています。とっても澄んだ味わいです。是非ご賞味ください。ほとりカフェは本日も11時にオープンします。

血液サッラサラ

地元の玉ねぎで作った玉ねぎドレッシング。お蕎麦のパスタ『ニアネス』のサラダで使用しています。玉ねぎ効果で血液サッラサラ。チーチッチッチッチッチッチッ血が騒ぐほとりカフェ、本日も11時にオープンします。

ポンスム

今週の果実の豆乳プリンは愛媛県宇和島産のポンカンとハーバルスムージー( #大麦若葉 etc82種の #植物発酵エキス & #乳酸菌 100億個…)のトッピングです。もちろん当店のオリジナルです。ほとりカフェ、本日も11時からオープンいたします。

こんな本置いてます vol.187

水木しげるさんのエッセイ集です。過去に出されたインタビューやエッセイなどたくさんの本からの抜粋です。戦時中の話もでてきますが、フォントって不思議です。小説などによく使われている明朝体だったら固い感じで、見ただけで読むことに抵抗があるかもしれません。でも、柔らかいフォントが使われているので、それだけで明るく感じます。水木さんの漫画もアニメと違っておどろおどろしい印象がありますが、余白が活かされていて、これまた明るい絵に見えます。この水木さんが笑いかけてる表紙もなんだか楽しい事が書いてありそうです。そういう本全体の雰囲気にのまれて内容もスッと心に入りやすくなります。この本は、本って著者だけではなくブックデザインによって左右されるんだという事がよく分かる本でもあります。

こんな本置いてます vol.186

自分の事を優先に考えるとわがままと思われるかもしれません。でも、自分を大切にしないと余裕がなくなり他人を思いやることもできません。自分を大切にしないと他人も自分のことを大切にしてくれません。少し荷物を背負いすぎている人が読むといいかもしれません。

こんな本置いてます vol.185/世界の果てのこどもたち

予備知識無しで読み始めました。タイトルと3人が輪になって踊っているのどかな表紙を見てヨーロッパのお話かと勝手に思って読み始めた瞬間から、とんでもないギャップに襲われます。つけられたタイトルの真意は知りませんが、世界の果ては読んでいる私の足元にありました。この本は読む時代によって印象も関心も変わると思います。コロナウイルスや中国とアメリカの微妙な関係によって社会不安が蔓延している今読んだから、心に刺さりました。満州事変から太平洋戦争、戦後へ続く物語。2015年に出版された本ですが現代を予見しているかのような本です(こうならないといいという願いも込めて)。満州で出会った日本人の女の子二人と一人の朝鮮人の女の子。3人の女の子の一生を描いた物語です。日本人が行った差別と虐待。太平洋戦争で日本が負けて逆に差別と虐待を受けてしまう。中国に残った日本人と日本に渡った朝鮮人。悲惨な虐待や虐殺の場面も出てくるこの本を読み切れるのは、子どもの素朴な目線で語られているから。場面転換も早くてわずか2ページで幸せな日々やほっと安心していた日々ががらっと変わって、地獄に落とされてしまうというシーンが幾度も登場します。でも、この唐突な場面転換は読んでいてあまり違和感は感じません。きっと、この時代はこのわずかな行数の場面転換より早く、自分の状況が変わっていったのではないでしょうか。太平洋戦争の頃の話はテーマが暗くて重くて、あまり見ることはありませんでした。だから、真珠湾攻撃で始まって原爆を落とされて終わって、ヨーロッパではヒトラーが虐殺を行っていた。そのくらいの知識ですら他人事のように見ていました。でも、戦争によってもたらされた事、傷つけられた事はもっともっとありました。どれだけの人の人生が狂わされてきたのでしょうか。そして、気づくと戦後って現在もまだ続いています。この物語はフィクションですが、巻末に書かれている膨大な参考文献から実際にあった出来事がなぞられている事は想像できます。こんな事が起こっていた事も知らなかったという意味でも、ほんの少しのきっかけで世の中が様変わりしてしまうという意味でも、自分の足元にこの世の果てが潜んでいます。差別を受けた人たちも差別をしてきた人たちも、犠牲者です。世界の指導者たちの犠牲者です。誰を指導者に選ぶのか本当に真剣に考えなければいけません。いつこんな事が繰り返されてもおかしくない現代だからこそ、正しい指導者を選ぶためにも読まなければいけない本だと思います。