伊達政宗の素顔

16歳の芦田愛菜さんが言っていました。「歴史って、昔に何があったかは分からない。かもしれないとは言えるけど、本当になにがあったかは分からない。だから、事実として残っている事だけが事実で、無理に結論を出さなくてもいい」と。私は基本、大河ドラマなどの歴史ドラマは史実を題材にしたフィクションとして見ています。特に主人公が英雄視されすぎてしまって、大量に殺戮した出来事でさえも、時には主人公は仕方なく行っていて正当化される事が多いです。でも、芦田愛菜さんが言うように本当は何があったのかは分かりません。仮に私がこの先、日本を動かすほどの有名人になったとしても、私の過去を語れる人なんていません。私自身も、日記をつけていないので思い出せない事も数多くあります。だから、歴史的な出来事はあったかもしれませんが、誰がどんな思いでそんな事をしたのか、その時に巻き込まれた人たちはどんな心情だったのか、想像で創造されたものでしかないと思います。たとえ当時に書かれた資料だって主君の命令で、良いように書かれているかもしれません。だから、芦田愛菜さんが言うように、この説が正しいんだと主張し合うよりは、こんな出来事だったかもしれないと想い描いて、ロマンを追いかけていた方が幸せな気分になれるような気がします。それでも、正しい答えを出したいというのが人の性。そんな時、史実を読み解くのに、より真実に近づける資料の一つが本人が残した書状ではないでしょうか。前置きが長くなりましたが、この本は伊達政宗が残した数ある手紙から歴史的な出来事と本人の心情を読み解いた本です。伊達政宗は手紙をよく書いていたようで、発見されているだけで3000通を超えているそうです。残っている手紙だけでも月に4、5通も書いている事になります。さらに、当時の戦国武将は手紙は祐筆という代筆する人が書いていた事が多いらしいのですが、伊達政宗は、わざわざ自筆で書いたと思われるものが1000通を超えているそうです。区別として当時の手紙は代筆された手紙は代筆者の名前も最後に書かれています。当時と書きましたが、今も上司の通知文を部下が書いて名前とハンコだけ上司の名前を書いて、最後に作成した部下(自分)の名前が書かれている文書が多くありますが、戦国時代からの伝統だということが分かって面白いです。もちろん、ここの本で紹介されているのはごくごく一部ですが、それでも、今まで勝手に自分の中で描いていた独眼竜政宗という勇ましい人物像とは、別の人格が浮かびあがってきます。はっきり言ってこの人普通の人です。と、私は感じました。もちろん、今私が住んでいる岩出山や、その後移った仙台に色濃く残る伊達政宗の面影を見ると、とても才覚があった事は間違いないのは分かっていますが、手紙を見るに、堂々とした独眼竜政宗の姿よりも、どうしても周囲に色々気を遣う繊細な人のように感じてしまいます。そういった繊細さが、ずば抜けて人を掌握できたのかもしれません。メールも発達して年賀状すら少なくなった今の時代だからこそ、直筆の手紙っていうだけで感動したりもします。でも、当時も同じように主君が直筆で書いたらきっと感動すると思います。そんな事を伊達政宗はよく分かっていたと思います。人に正しく伝える手段、人に感動を与える手段、特に直筆で書く事による効果をよく認識していたのだと思います。この本を見てみると手紙を使って細かい指示や気遣い、時には自分の行動を弁解するかのようなフォローをしている事が分かります。代筆ではなく直筆の手紙をもらったら家臣ならドキッとしたり、他領の武将にとっては、丁寧な人物として信頼したかもしれません。さて、どの辺りの内容が普通の人と思わせるのかと言えば、例えば、天下統一目前の豊臣秀吉の命令で全国の武将が小田原に攻め入っている時に、伊達政宗は色んな思惑から決断が遅れて、小田原には遅れて参戦しました。その事を快く思わなかった、豊臣秀吉から呼び出されて成敗される事も覚悟していましたが、釈明したらとりあえず助かったという出来事がありました。その事をすぐに故郷で待っている家臣たちに「助かったよ。それどころかご馳走までしてくれたよ。大丈夫だってみんなに伝えてくれ」かなり、意訳していますが、緊張が解けて、それどころか大事にもてなされた興奮が伝わるような手紙が残っています。また、徳川幕府になって平和になってから鷹狩に興じて、主君である自らが幹事になって鷹狩の案内文まで家臣に出しています。その内容も、鷹狩の心得として鷹狩の前は飲みすぎるなよとか、参加しないやつは罰金とか、近くにいる百姓に迷惑をかけるなよなど、ほほえましい内容です。士農工商という階級制度はあったものの、農民にも配慮している姿がこの手紙では見られます。この本を通して英雄視される伊達政宗よりも親近感がわいてきました。是非、他の手紙も読んでみたいし、他の武将の手紙も読んでみたいと思いました。