つい先日、三社祭で盛り上がっていた浅草。浅草寺に行くなら人のいない早朝がねらい目とどっかのソーシャルメディアに書かれていました。人のいない7時ごろ、浅草寺へ向けて散歩に行きました。確かに、人通りは少なく気持ちよく歩けました。本堂に入ると多くの一般の方を交えてお経が読まれていて、早朝の空気とともに心地よかったです。お店は閉まっていますが、閉まっていてもシャッターに描かれた江戸の風俗画が楽しませてくれます。
青い東京
ブルーノート東京に行きました。テーブル席でお酒を飲みながらここでジャズを聴くのは憧れる体験です。私はお酒は強くないのでジュースですが・・・。お食事を摂られている方もいらっしゃいました。満員の席で、私が観に行った公演はカート・ローゼンウィンケル & ジャン=ポール・ブロードベック “ショパン・プロジェクト”。ショパンの曲をジャズにアレンジ。ピアノ・エレキギター・ウッドベース・ドラムのカルテット編成でクラシックのジャズアレンジというよりもジャズそのものです。競い合うように演奏が行われますが、それぞれが尊重しあって、チームワークの良さが響き渡ります。段々と盛り上がって、4人が息を合わせてピタッと決めるところがカッコいいです。身体全身に生音を浴びるのも心地いいです。機会があればまた来たいです。ドレスコードが無いのもいいです。
アモル
ゴールデンウィークは国立新美術館で開催されている『ルーヴル美術館展 愛を描く』を鑑賞しました。一人のアーティストを掘り下げた展覧会ではないので、二の足を踏んでいましたが、観に行って本当に良かったです。愛をテーマにした70点余りの絵画です。最後の部屋は今回のメインとなる作品が多く、しかもこの部屋だけ撮影可能となっていました。上の写真はフランソワ・ジェラールの『アモルとプシュケ』という作品です。アモルというのは、矢を放って、射られた人はその時に出会った人に恋に堕ちてしまうという能力をもった、そうキューピッドの事です。キューピッドって色々な呼び方があるんですね。しかも、ヴィーナスの子どもで、成人もしていて人間に恋をしてしまいます。ヴィーナスも色々な男と浮世を流し、美の女神のはずが自分より美しい人間の女性プシュケに嫉妬をしてしまい、意地悪をします。ヴィーナスは自分の子どもアモルに、プシュケを一番醜い生き物に恋をさせるように仕向けますが、アモルは誤って、プシュケの前で自分に矢を射してしまい、自分がプシュケに恋をしてしまいます。今回の絵画展って絵だけではなく、こういう背景にあるストーリーも面白いのです。色々な場面から色々な想像力をかきたてられます。神々も人類も恋をして異性(時々同性)を追っかけている姿が、美しくもあり醜くもあり、本性が現れるから作品にしやすいのでしょうか。無理やり女性を奪う男性や、男性が寝ている間に魔法をかける女性、許されない恋の末、心中してしまう恋人。不思議な事は、売春婦の仲介をする老婆や、好色な目で女性を誘惑する中年のおっさんまで作品として描かれて、芸術作品となっている点です。こういう絵を誰が欲してどこに飾っていたのでしょうか。自分の娘に、男に気をつけろと戒めるために描かせたのでしょうか。それとも、来訪者にお前の本性を見抜いているから娘に手を出すな、と警告するつもりで飾っていたのでしょうか。とても所有する気にはならないのですが、こういう普段見ることができない人間のむき出しになった欲望が生々しく絵画になっているから楽しめるのでしょうか。そこで、写真の『アモルとプシュケ』です。無表情なプシュケのおでこにキスをするアモル。様々な解釈がなされているようですが、私には弓矢で恋をさせる役のアモルが自分が恋をしてしまって、荒々しく奪いたいという自分の気持ちを抑えて、一生懸命平静を装っているようで可愛らしくみえます。さて、展示作品は男女の愛だけではなく、マリアが幼子キリストに向けられる親子のやすらぐ愛もあり、今回の企画展を通じて様々な愛情表現を感受できます。
こんな本置いてます vol.213/クララとお日さま
2017年のノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロさん。カズオ・イシグロさんと言えば、日本では『わたしを離さないで』が多部未華子さんと木村文乃さん、演出蜷川幸雄さんで舞台化され、綾瀬はるかさんでドラマ化されています。ノーベル文学賞受賞後の注目作品です。テーマや主題は『わたしを離さないで』と共通する部分があります。そして、この物語は分かりやすくて分かりづらい。ここから先はネタバレになっているようでネタバレにならない?さて、クララというのは人口知能を持った人型ロボットですが、何故かAFと表現されています。AFが何の略なのかは記されていませんが、ネットで調べるとFはフレンドで”人口友達”のようです。AIは、決して人間やロボットではなくて、あらゆる電化製品に搭載されてきているので、言葉を避けたのかもしれません。鉄腕アトムの世界では、近未来では家庭にロボットがいて人間のお手伝いをしていましたが、ここの世界では子供の友達として存在するようです。人口知能で優れた頭脳を持っていますが、ヴァージョンアップはするようで、クララは旧型のAFとなっています。ショーウィンドウで飾られていたクララは、もう一人の主人公の人間の女の子ジョジーに気に入られたので、ジョジーの母親に買われて、一緒に生活を始めます。この物語の分かりやすい所は、その主人公のクララが語り手となって物語が進行するところです。クララはショーウインドウから見る世界しか知らなかったので、初めて見るその他の世界は人間の子どものように吸収していきます。クララは人口知能とは言え、子どもなので子ども目線で語られるので、表現や文章は分かりやすいという事です。しかし、反面このことがこの物語を分かりづらくします。クララはショーウインドウで見ていた世界しか知識がないため、初めて体験することが十分に理解できないこともあり、どんな場面で何が行われているのかが謎になっています。同時にクララはジョジーの友達としてあてがわれたAFのため、家庭内の大事なことまでは知らされないので、クララ目線ということでクララが教えられていないことも謎になります。そこが、カズオ・イシグロさんの上手いところだと思います。どうしても、その謎が知りたくて、どうなるのだろうと先を読み進めてしまいます。終盤、物語を動かすキーパーソンがでてきて、控え目で忠実だったクララも触発されるかのように、自分が信じることのために、周囲をも説得して行動します。いよいよ謎が明かされると期待が盛り上がっていきます。『わたしを離さないで』で終盤味わったカタルシス(原作ではなく舞台で味わいました)がくるのも、あと少しです。ところが、残り数ページに来た時にあれ?まだ?となり、結局、私の疑問は最後まではっきりとした説明がなされずに終わってしまいました。クララの存在理由は分かりましたが、時代設定もどこの国かも、あいつはなんだったんだ?なぜ、こんな力が働いたのか?などなどなんとなく空想できても疑問は残ります(AFの略もネットで調べたくらいです)。確かに最後の最後までクララ目線なので、クララの理解したことしか示されません。もしかすると、クララが体験してクララなりに理解できたことは、実はクララの思い込みに過ぎなかったかもしれません。巻末であとがきを書かれている河内恵子さんも理由はともあれ、二回読んだことを示唆しています。とはいえおススメできないわけではありません。クララ目線という世界観を守り続けた一貫性のある作品で、クララという存在は心温まる存在です。バランスをとるため本の帯に書かれた推薦文を載せておきます。是枝裕和さん「イシグロ。AIロボット。少女。境界を越えた心の交流。読まずにいられるわけがない。」佐々淳子さん「この困難な時代にこの本が読める幸せ。書棚にずっと置いておきたい」茂木健一郎さん「クララは人間にとって本当に大切なものを思い出させてくれる鏡だ」。いつか映像化されるのだろうか?ところで、ほとりカフェ本日も11時にオープンします。今日はお日さま出るかなぁ?
次回5月19日(金)は臨時休業
20日(土)と21日(日)は通常通り営業致します。
ノラネコぐんだんに遭遇
盛岡市のパルクアベニュー・カワトクで開催されている『ノラネコぐんだん展』に行ってきました。これまでのノラネコぐんだんの絵本の原画をたっぷり味わうことができて、工藤ノリコさんのその他の作品も展示されていて、かなり充実しています。様々な展示会グッズも欲しい物だらけです。本日までなので、盛岡市に遊びに行かれる方は是非。入場料は大人が850円こどもが400円です。ところでほとりカフェ本日も11時にオープンします。
今年もコデマリがキレイに咲きました
ほとりカフェ本日も11時にオープンします。
今年もオオデマリがキレイに咲きました
ほとりカフェ本日も1時にオープンします。
ほとりカフェご利用のお客様
いつもご利用いただきありがとうございます。長い間、マスク・消毒・検温・パーティションなどコロナ対策にご協力いただきありがとうございます。徐々に緩和して参りましたが、当店でのコロナ対策は本日で終了とさせていただきます。このような状況の中でも、わざわざお越しいただけた事、重ね重ね深く感謝申し上げます。今後とも、よろしくお願いいたします。