表紙に書かれている、カムイ伝のむこうに広がる江戸時代から「いま」を読む、の「いま」とはいつなのでしょうか。正解はこの本が刊行された10年以上前の2008年です。でも、10年経ったいまも世の中が変わっていないことに驚かされます。そういう意味では「いま」とは正に「いま」でもあります。この本は、カムイ伝を通じて江戸時代を読み解く、大学教授でもある作者の講義を文書でまとめたという内容です。私も『カムイ伝』は『カムイ外伝』も含めて全巻読んでいますが、カムイ伝を通じて、江戸時代に興味をもった一人で、歴史と言えば戦国大名がもてはやされますが、その陰でたくましく生きてきた農民や穢多、非人の方こそ脚光を浴びる存在ではないだろうかとも考えるようになりました。昭和、平成、令和と生きている時代を、後世の人々は何時代というカテゴリーにするのか興味深いですが、個人的には、世界との関わりも多くあってIT抜きに語る事ができない世の中ですが、江戸時代の延長のように感じています。とは言いながら、興味は持ちつつもなかなか研究や勉強とまではいかないので、こういう本はある意味、私が探し求めた本であり、大変助かります。前置きは長くなりましたし、本の内容を説明するともっと長くなりますので、かいつまんで関心を寄せた部分を少しだけ。まず、江戸時代に百姓一揆は実に3500件以上起こっていて、計算すると年平均13件、つまり月に1件は起きていたという事実に驚きました。メディアが発達していない時代とはいえ、どうしてこういう事をしたら農民の怒りを買うと、お上は学ばなかったのでしょうか。逆を言えば農民たちは私が想像するよりもはるかに強かったのかもしれません。黙って言いなりになるだけではなく、死を覚悟して行動する。この数字を見るだけでも当時の農民たちの芯の強さを感じずにはいられません。その他にもカムイ伝からも読み取れますが、穢多や非人も職や芸を持ち、そこで生まれた文化はそのまま現在まで通じている事や、終盤の武士とは何かという存在意義の問いかけも興味深い話です。江戸時代になって戦が無くなった世の中で、武士とは何のために存在するのか。出世レースに敗れれば、落ちぶれて切腹か手に職をつけて商売をしなければならない。サラリーマンでも無いし、今でいうとお役人か警察か、日長何をしていたのか気になります。無力さや無能さを実感させられ、それでも、存在をアピールするために部下を振り回す、会社の管理職が感じていそうな姿も想像できます。そして、この本に書かれている現代社会へ向けられた言葉の数々。当時の書物を引用した感想では「政治さえよければ遊民は減るのであり、それは為政者の義務であると書かれている。『自己責任』と言って切り捨てる現代の政治より、よほど見識が高い。」と書かれています。また、最後の方の章には、現代社会において維持する事が困難となってきて議論が絶えない天皇という階級の矛盾にも言及し、さらには、アメリカに忠誠を誓う日本政府によって経済システムの悪循環に巻き込まれているとまで記されています。この本を読み進めると江戸時代から受け継がれた文化やサラリーマン的出世争い、目立たなくはなってきても続いている封建的身分制度を知るだけではなく、政治の面では、日本はこの10年何も変わっていないことを思い知らされます。もっと江戸時代の事を知りたくなりましたし、それよりも早く『カムイ伝第三部』が読みたいです(この願いは絶望的ですが)。