どうして私は本を読むのでしょうか?知識を得たいから?泣きたいからでしょうか?小川糸さんの『リボン』。私はこの本を読んで何度も泣きました。オムニバスのように色々な境遇の人たちが、次々と登場していきます。その中でオカメインコのリボンが手塚治虫さんの火の鳥のように、各家庭に登場します。家族から距離を置いている(?)祖母とその孫。赤ん坊を死産させてしまった若いお母さん。鳥を保護しているグループと飼育係の青年。スナックのママとそこに通う家庭持ちのサラリーマン。余命宣告を受けた60代の元女優の画家とアシスタントをしている幼馴染の女性。そして、美術雑誌にその先生の絵を掲載してもらおうと交渉にくる女性編集者。姉を亡くしたばかりなのに再婚を決めた義兄の元を訪ねる妹家族。震災による津波から逃れるため年の離れた知的障害の兄を連れて高台に逃げる女性。そして、最初に戻り死を迎えて元気の無くなった祖母と成長した孫。私とは共通項が無い人ばかりが登場しますが、何故か共感して涙が溢れてしまいます。いや、背景が違うだけでそれぞれ一様に、上手く行くことばかりではない人生を積み重ねていっているという、人類全員の共通項が表現されているからかもしれません。懸命に生きているわけではありませんが、ちょっとした事で悩みながらもいつの間にか年が過ぎて行き、やがて死を迎える。考えすぎると儚さや虚しさを感じてしまいますが、それでも、身近な人を思いやり支え合う事で生きる意味が生まれてくるような気がします。私はこの本を読んでそんな気持ちになりました。ところで、この小説は同時期に発売された『つばさのおくりもの』と対になる小説です。紹介が前後しましたが、私は『つばさのおくりもの』から先に読みました。『つばさのおくりもの』はオカメインコの目線から描かれています。ここでは詳しく描かれなかった義兄の娘とリボンの触れ合い。そして、ラストはこの本と呼応し合います。どちらから読んでも構わないと思いますが、是非、2冊とも読んで欲しいと思います。